政治

日本の政治・・・
政治を行っているのは政治家である。
一政治家がどのようであるかを見抜かなければ政治は見抜けない。
日本の政治家とは学級委員長の集まりである。
ようするに目立ちたがり屋なのである。
目立ちたいのは悪いことではない。
問題は、政治家が国民からどのように見られているのかを理解していても、「それをまぁいいか」で済ませてしまっているところにある。
恥じらいが無くなっているのである。
これまた恥じらいが無くなるのも別に悪いことではない。
ただし、恥じらいのない社会がどのように進んでいくか?というところに問題がある。
恥じらいのない社会とは「自分がよければ他はどうでもいい」という思想にほかならない。
その結果が現状の世の中である。
それがまだしも人間の間だけならそれだけのことであるが、動物や地球環境を破壊している。
それは痛みを知らないから起こる。
人の痛みを知らないことには動物や地球の痛みがわかるはずはない。
でも政治家だけを責めることはできない。
政治を変えられない国民がいるだけだから。
月と地球のように政治と国民性はバランスが取れている。
突き詰めていったら別に誰が悪いわけでもない。
ただ今こうであるというだけだ。
問題はこれからどうするかの1点である。
生きていれば当然原因と結果の法則くらいわかってくる。
自分がやったことがかえってくる。
やらなかったことがかえってくる。
政治を責めることは自分を責めることである。
何も変えられない自分を嘆いているだけである。
本当に変えたければそれこそ自分が政治家になればいいだけのことだから。
ただ政治家になっても政治は変えられないかもしれない。
そんな方法ではないのかもしれない。
今必要なのは、ひとりひとりが責任を持つということである。
責任をもつとは人のせいにせず、自分ができることをやるということである。
責めて変えられるならいくらでもそうする。しかし責めることでは変えられない。
何かを変えていくには理解からはいらなければならない。
全員が片棒を担いでいるのは間違いない。
無関心もそのひとつだ。

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